ギリシャ・イタリア生活日記 地中海とカフェ Diary 歴史に翻弄されたギリシャ人の末裔たち
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歴史に翻弄されたギリシャ人の末裔たち
2006-05-20 Sat 23:59
曇り
昨夜、私のお気に入りの番組、メガというチャンネルの「ファケリ」で複雑な問題を取り上げていた。黒海沿岸のポンドという地域に住んでいたギリシャ人の末裔の歴史だ。とても興味深かったので、内容を出来るだけ書き留めた。

現在はトルコ領である、黒海沿岸(右下あたりに位置する)の町、トラペズンタ(英名はTrebizond)は、古くからギリシャ人の町であったが、コンスタンティノープル陥落8年後の1461年、ここもオスマン帝国に占領された。この支配から逃れる為に、黒海沿岸の裕福な町、村から、大半のギリシャ人がポンドス(Pontus)地域(トラペズンタを含む黒海沿岸から山間部への一帯)の山中深くへ逃れ、そこで新しい町や村を築いた。(このときに中央ロシア方面へ逃れたギリシャ人たちもいて、今でも約500万人もの人口を誇っていて、ポンドスのギリシャ人文化を守って暮らしているそうだ。)

そこで自由に暮らしていたギリシャ人たちも、17世紀末になってイスラム教への改宗をせまられることになる。ギリシャ正教の教会は当時モスクへと建て替えられ、そのことは、現地のガイドブックなどには、今も全く触れられていない。
その後もまだギリシャ正教を守っている人々はいた。19世紀末の記録でもまだギリシャ正教徒のギリシャ人は697,000人もいたという。ところが1900年代初頭、トルコはこのギリシャ正教徒の男性を強制的に労働キャンプへ送りこむ。ここでは、ひどい環境での労働によりたくさんの人々が亡くなったという。さらに東方の奥地へ逃げた人々もいて、彼らの中からも、厳冬の逃亡生活によってたくさんの死者がでた。ギリシャ人だけでなくアルメニア人も住んでいたトラペズンタ近くの村々では、彼らの家も、教会も崩れかけて廃墟となっている。あるポンドス出身のギリシャ人組織サイト(在モントリオール:サイトのアドレスは記事の最後です。★)によると、この迫害によって亡くなったポンドス地域のギリシャ人の数は、17万人にも上る。
この地域への取材の最中、なぜか、絶えずトルコの諜報組織が取材陣を追跡している、ということもレポーターが口にしていた。緩和しそうで緩和しないギリシャ・トルコの緊張した関係を象徴しているようだ。

第一次世界大戦でのオスマン帝国敗北後には、まだ残っていたギリシャ人たちが、この黒海沿岸地域に「ポディアコ・クラトス」というポンドスのギリシャ人による、独立した民主主義国家を建国しようとする。これが失敗に終わり、当時分裂しかけていたオスマン帝国を守る為にアナトリアに派遣された、ケマル・アタトュルクがこのギリシャ人たち(大半は非武装の住民たち)を襲い、殺戮、追放を行う。ケマルがアンカラに迫ってきたギリシャ軍に勝利し、さらに地中海へ下ってイズミール(現スミルナ)まで手中にするのはこの直後1922年のことだ。

ポンドスでは、何千人とも推測されるギリシャ人の子供達が親をなくし、その大半がトルコ人に養子にされて、トルコ人として育てられることになる。同じく上記のカナダにある団体のサイトによると、この時期は12万人ほどのギリシャ人が亡くなったり殺されたりして、結果、第一次大戦前の迫害時代とこのケマル支配時代の1914年から1923年の間を合計して、ポンドスのギリシャ人697,000人の内41%以上もの人々が殺されたり亡くなったりした計算になるという。
この孤児になった子供達の話は、ヨルゴス・アンドレアーディスという作家の「タママ」という本が、トルコ人監督によって映画化もされているそうだ。少し番組内で映された内容では、大人になるまでイスラム教徒、トルコ人として育った女性が、一枚の写真をきっかけにテッサロニキに住む実の兄を探し当てて会いに行く。




1923年ケマル率いるアンカラ政府が連合国とローザンヌ条約を締結。正式にトルコが独立国家として認められ、ギリシャのイスラム教徒、トルコのギリシャ正教徒の住民交換が行われた。このときにギリシャ正教徒であるギリシャ人たちはこの地域を去り、イスラム教徒であったギリシャ人たちは残った。この、残ったイスラム教徒のギリシャ人たちが住み、今もポディアカと呼ばれるギリシャ語に近い言語を話す、山中の村オチェナ(トラペズンタから南西に下ったあたり)という所が取材された。

学校ではもちろんトルコ語しか使われないし、クラスでポディアカを話すことは禁止されている。実は、トルコ政府は、このポディアカと呼ばれる人々、その文化・言語の存在を公式に認めていない。そして、ポンドスの人々も問題を起こしたくない、クルド人のような目にあいたくない、などいろいろな感情があって、お年寄りも子供達に本当の歴史を教えていない。またこの地域ではトルコ政府によって、徹底的にイスラム教の宗教教育が行われたそうだ。

現在ギリシャ在住のオチェナ村出身のある男性は、このポディアカの由来に興味を持って、子どもの頃学校の先生に聞いたとき、ギリシャとの関係については一言も教えてもらわなかったという。彼の人生が転換するきっかけは、アンタルヤで観光業に就いていたとき、あるギリシャからの観光客にポディアカを理解する人がいて、同じ言葉をきいて涙を流したことだった。これが、生まれて初めて、自分が本当は100%ギリシャ人であると知る初めての機会だったそうだ。
それを機にギリシャに来ることを決め、今はギリシャでポンドスの文化を収集してネットに載せている。今の子供達はだんだんポディアカを話さなくなっていっているので、こうやってポンドスの文化を保存したいと望んでいるそうだ。(彼のサイトを見ると単語が時々ギリシャ語と同じで共通点がわかりますが、文章は残念ながら意味がわかりません・・・。)言語だけでなく、音楽、踊り、楽器にも独特のものがある。(同じサイトで音楽も聴けます。)
ただ、これさえもトルコ政府は望んでいないようで、ハッカー集団を使ってこのサイトの妨害を何度も試みていると彼が言っていた。

でも取材で見た現地のポンドスの人々は、ギリシャもトルコも兄弟のようなものだと感じている。彼らは独特の文化を持っているけれど、住んでいるところがトルコであるかギリシャであるかは、気にしていない。単純に、ポンドスが彼らの故郷なのだ。

ただし番組では、トルコは何か(トルコの統一が脅かされるような出来事)を恐れている、ということを何度も言っていた。トルコ軍のインターネット・サイトには、疑わしいギリシャ人がいたら、通報すること、というので特別な電話番号まで載っている。
そしてこのポンドスの人々もトルコ政府と問題を起こしたくないと、口をそろえて言う。

オマール・アサン(※ハサンと書いていましたが間違いのようです。)という作家が書いた「ポンドスの文化」という本が出版され、このポディアカの由来などが紹介されたとき、イスラム教徒でトルコ在住のポンドスの人々には、信じない人、ギリシャ語の関連を全く知らない人、批判する人もいたそうだ。この作家は、2001年テレビに出演したあと、1年半もの間トルコ政府によって裁判にかけられ、その間本は回収され、読むのも禁じられたという。先述した「タママ」の作者も1998年にイスタンブールの空港で逮捕されギリシャに強制送還されたことがある。
ハサン氏はトルコのヨーロッパ共同体加入が近づくほど、言論の自由が保障されて、彼も安全であると言っていた。

番組で話していたあるパソック(ギリシャの2大政党の一つで中道左派です。)の政治家によると、今のトルコには、隠れたギリシャ正教徒(イスラム教化を強制された人々)、つまりイスラム教徒として暮らしているギリシャ人が200万人はいると推定しているそうだ。


efxinos pontos:カナダ、モントリオールにある、ポンドス出身ギリシャ人組織のウェブサイトです。ここではポンドスの歴史や文化について、英語とギリシャ語で読めます。

昨日5月19日は、ポンドスのギリシャ人虐殺、追悼の日だそうです。
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Hello!
turkuvazさん、そうすると、アサンが正解だと思います。番組をがーっとメモしていて、できるかぎりネットでもチェックしたのですが、この名前は見つからなかったんです!
日本でも放送されたんですね!
政治家が200万人と言っていたのは、黒海沿岸だけでなく、トルコ全土に関しての数字だったのですが、どういう根拠かはわかりません。トルコ人として育てられてしまっているギリシャ人の孤児なども計算にいれていると思いますが、それにしても残り170万人もどこに住んでいるということなんでしょうね?

2006-05-22 Mon 17:24 | URL | chottocafe #-[ 内容変更]
Hello!
ちょっと訂正です。
サンダンス映画祭で受賞したのは作品ではなく脚本で、最優秀脚本賞を受賞。それにより15万ドルの資金援助を受けられることになり、各国の団体等(NHKも含む)の援助によって3年かけて製作されたようです。
つい先日日本でも、NHKBS2で『雲が出るまで』という邦題で放映されたそうです。
せっかくなので、昨日きちんと鑑賞してみました。字幕がないのでギリシャ語の会話がまったく理解できず、今夜再度英語の字幕付きで観てみようと思います。

オマール・ハサンについては、ÖMER ASAN(オメール・アサン)という名前が見つかりました。確かに『ポントスの文化』という著作があって、ネット書店で手に入るようなので、今度機会があったときに一緒に取り寄せてみようと思います。
ちなみにオメール・ハサンは、黒海地方に住むルム(ギリシャ人)たちは60の村に30万人が住む、と語っているそうです。200万人というのは、ちょっと大袈裟な気がします。
2006-05-22 Mon 15:08 | URL | turkuvaz #-[ 内容変更]
Hello!
turkuvazさん、こんにちは!
わぁーさすがです、turkuvazさん!ご存知なのではないかと、ちょっと期待していたのです。
私は映画の存在も知らなかったのですが、トルコ人の方が監督をして、さらに新聞にも紹介されていたということは、それだけトルコもこの事に関してオープンになりつつあるということでしょうか。それはとても喜ばしいことですね。
サンダンス映画祭で評価されていたということであれば、DVD屋さんでみつけやすそうですね。私も見たいと思っています。

でもだんなさんのお気持ちもわかります。私も記事を書きながらトルコの方々にとっては、ケマル・アタトュルクはなんといってもトルコの独立、そして近代化を進めた人物で、国にとって、どれだけ大切な存在かわかっているので、見るサイドでこれだけ視点も変わってしまうのかというのを実感していました。

日本と韓国の関係と本当によく似ていますよね。トルコとギリシャって。
2006-05-21 Sun 22:01 | URL | chottocafe #-[ 内容変更]
Hello!
271828さん、こんにちは!
私も5月7日の記事「続 新聞の日曜版」で私もその「タッチ・オブ・スパイス」(ギリシャでは「ポリティキ・クジーナ」というタイトル)に触れています。
私のお気に入り映画です。

ギリシャはまだ長期にわたったトルコの支配を忘れていません。その割に、いろいろな現代文化(料理、音楽、言語)がトルコの影響を受けていて普段の生活になじんでいます。
性格的にも似た部分が多いようです。
過去の清算の問題だけでなく、お隣で似たもの同士ほど仲が悪くなりやすい、というのもあったりするのかなと個人的に解釈しています。

またおっしゃるような、トルコからギリシャへ移住してきたギリシャ人が、今度はギリシャでトルコから来たということで、なんとなく区別されてしまうというのも、大変複雑な感情ですね。そしてギリシャへの移住者にとっても故郷はギリシャではなく、トルコの生まれ育った町なんですよね。
映画「タッチ・オブ・スパイス」もギリシャに一度も来ないおじいさんを代表として、故郷への思いの強さが印象的でした。
2006-05-21 Sun 21:26 | URL | chottocafe #-[ 内容変更]
Hello!
matahariさん、こんにちは!
お義父さまがポンドス出身の方なんですね。このポディアカも家族で話されるのでしょうか。
私はこの番組を見るまでこのことを知らなくて、こんなにたくさんのギリシャ人が今でもトルコに残っていたり、海外を含めてポンドス出身の方々がこんなにたくさんいるということにも驚きました。初めて知った事柄だったので、理解できた限り記事にしましたが、何かお義父さまから聞かれた話なども、機会があればぜひ教えていただきたいなと思います。

どうしても戦争などで一番被害を受けるのは、非武装の住民、それも現地における少数民族なんですね。

日本が過去のことを忘れていない他のアジア諸国とも比較的良い関係を築いてきているように、ギリシャとトルコの関係がいつか良くなってポンドスの人々が自由に故郷へ帰れるようになるよう願っています。
2006-05-21 Sun 19:38 | URL | chottocafe #-[ 内容変更]
Hello!
その映画は、イェシム・ウスタオールという女性監督による『雲を待つ時(or雲を待ちながら)』という作品ですね。実は先月アンカラに行った際、VCDを手に入れ、夫と一緒に鑑賞したのですが、途中から夫の機嫌が悪くなりまた、私の方にも電話がかかってきて、最後まで通して観れなかったんです。もう一度観ようと思ってはいるのですが。
サンダンス映画祭で高く評価された作品で、映像作品としては美しく仕上がっているようでしたが、夫にしては「なぜ今頃になって、過去の歴史の影の部分を掘り起こすようなことをしなければいけないのか」「雲に覆われて始終暗い黒海地方に対し、青空のギリシャという対比が恣意的」などと不評でした。
映画専門サイトのアンケートでも、トルコ人の評価はまっぷたつに分かれるようですね。やはり、愛国心の強いトルコ人にとっては、歴史の陰の面をことさらとりあげているように感じられ、拒否反応が出てしまうようです。

私もこの映画が2年前くらいに新聞で紹介されたことをきっかけに、初めて黒海地方で行われたギリシャ人追放の話を知ったのですが、強制収容とか殺戮のことはさすがに文字にはされていませんでした。

5月19日も、トルコ人とギリシャ人にとってはまったく正反対の意味を持つ日なのですね。トルコでは、国土を侵略者の手から解放しトルコ人の手に戻す、救国戦争の始められた日として盛大なお祝いが繰り広げられます。
日韓の間に横たわる厳しい歴史感情が、文化的交流によって和らぎつつあるように、ギリシャ・トルコ間の歴史感情も、ドラマなどを手始めとして徐々に和らいで行ってくれることを祈ります。
2006-05-21 Sun 18:36 | URL | turkuvaz #-[ 内容変更]
Hello!
chottocafeさん、こんにちは。

ギリシャ⇔トルコの民族問題・領土問題はユーロビジョンが全く報道されない日本では話題にもなりません。

両国の抜き差しなら無い関係に私が気づき始めたのはanna vissiのことをWikipediaで調べてからです。キプロス出身の芸能人って多いですね。日本における沖縄を連想させます。

先日見た映画「タッチ・オブ・スパイス」
http://www.gaga.ne.jp/spice/
ではキプロス紛争をきっかけとするイスタンブール在住ギリシャ人の強制送還('59)が物語の要になっていました。「トルコではギリシャ人と言われ、アテネではトルコ人と言われる」悲劇は現在も深刻ですね。だからギリシャでは興行的に成功したのでしょうか。
1920年代の強制移住はギリシャのブルース=Rembetikaの歴史を読んで知りました。

一方では、東トルキスタンの亡命政権がトルコにあります。
2006-05-21 Sun 11:34 | URL | 271828 #-[ 内容変更]
Hello!
おはようございます。こちらは日曜日の朝9時、いつも拝見させていただいていますchottocafeさんのブログですが、今日はいきなり目が覚めるような内容でした。
こんなに詳細に説明していただき、ありがとうございました。義父はポンティアキで、先祖がこのトルコ側から命からがら逃げ帰る際、苗字でギリシャ人だとばれないよう、苗字を変更して、そのままそれが今も使用されています。なので、ギリシャでたった1つの苗字ということになりますね(もしくは家族のみ)
今日その背景が詳細に知ることができ、胸がいっぱいになりました。
2006-05-21 Sun 08:59 | URL | matahari #-[ 内容変更]
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